部活のない快晴の日曜日。昼前、ドライブに出かけた。

すでにやや空腹であることに気づいた我々はまず先に昼食を摂ろういうことになった。洗濯などを多めに行い、朝から意外にも活動が活発であったせいであろう。11時過ぎに家を出て、11時半少し前に目的のレストランに到着した。

その自然派な感じのレストランは11時半からであった。予約の人々が何組かあって、順番に案内されてゆき、予約のない我々は7組目ぐらいにテーブルについた。少し料理までには時間がかかります、ということであった。

ところがいつまで経っても料理が出てこない。あとから案内された人々にも料理が運ばれてゆく。おそらくみんな予約の人たちなんだろう。だから俺たちはまだ時間がかかるんだ、と思いそして待った。

それにしても遅い。この状況を何とか打破すべきかどうか。店員を呼びつけ「料理はまだ来ぬか」といった方がよいものか。しばし考える。ここは自然派のレストランであり、時間はゆっくりと流れ、「料理が遅い」などというのは無粋な男の愚かな考えであり、この自然派レストランはごく当たり前に自然派の流儀に従ってこんな状態であるだけかもしれない。

そうであった場合、「お客様もうしばらくお待ちください」と店員に優しく微笑まれた場合、俺の立場はやはり、愚かで無粋な男であるということになる。

ここは自然に囲まれ、穏やかに時が流れ、健康に留意したオーガニックな食材を提供しようとする、イケてる感じの自然派レストランなのである。

妻は平静を装っている。ここで取り乱すような性格ではない。だがやはり、ここはなんとかスマートな方法でこの状況を打破すべき時間帯が迫っている、そんな本当にどうでもいいような攻防が俺の心の中で続くことになる。

そうしながらも、そんなことを考えていない風にしてふたりの会話を続けた。

ひとりの店員が俺たちのテーブルを見た。そして何かを察した。おそらくこれが人生の機微だとしたら、これもまた真実と言えるはずだ。

ほどなく、前菜が運ばれてきた。その様子も少しおかしい。もう我慢することもないだろう。その店員に素朴に俺は聞いた。聞きました。どうしてこんなに遅くなったのかと。

しどろもどろだった。自然派レストランで働く店員がほとんどそうであるようにまったくの善意で構成されているような人間は不慮の状況に不慣れであり、対応力も極端に欠落している。彼らにとっては善意だけがささえなのだ。

要するに忘れられていた。この自然派レストランで多くの人々が楽しく食する中で、我々だけが別の空間で待ちぼうけを食らっていたのだ。善意だけで固められているはずのこの場所で。

食事を済ませ勘定を支払う時、おそらくこの店の責任者であろう人物がようやく対応したらしい。ものすごく謝ったということである。妻は俺がどこかの場面で、妻がいなかったところで俺が暴れたのだ、と思ったらしいがそんなことはしていない。

自然派レストランでの出来事。人間の善意というものは厄介であり、注意深いものでなければならない。

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南山城の社寺を訪ねました。神童寺から猿丸神社、そして禅定寺